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島村光津 しまむら みつ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

島村光津 しまむら-みつ

1831-1904 明治時代の宗教家。
天保(てんぽう)2年3月18日生まれ。蓮門教教祖。小倉藩士柳田市兵衛から法華経にもとづく「事(じ)の妙法」の教えをうけ,明治10年から布教。15年東京に進出し,神道大成教に属し,蓮門講社教長となる。コレラの流行に乗じて神水による病気治しで教勢を拡大したが,治療活動が当局の干渉や新聞などの攻撃をまねき,急速におとろえた。明治37年2月13日死去。74歳。長門(ながと)(山口県)出身。旧姓は梅本。名はみつ,美津ともかく。

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朝日日本歴史人物事典の解説

島村光津

没年:明治37.2.13(1904)
生年:天保2.3.18(1831.4.30)
明治時代の蓮門教女性教祖。山口県豊浦郡出身。明治1(1868)年小倉藩士柳田市兵衛(号は素入)の祈祷を受け弟子入り。同10年柳田の死後,独立し「事の妙法敬神所」を開設。お籠りや神水による病気なおしで評判を得るが警察の干渉から,同15年東京へ進出。合法化のために神道大成教に属し,光津は教導職試補の資格を取り,蓮門講社と称して公認布教。蓮門教はコレラや伝染病が毎年のように流行するなかで驚異的に発展した。同23年大成教の最高位大教正になり,信徒数は公称90万人を数え,「天理蓮門」と並び称された。だが翌年尾崎紅葉の『読売新聞連載小説「紅白毒饅頭」や同27年『万朝報』の激しい「淫祠邪教」批判を受け,警察,内務省社寺局の圧力の結果,大成教は光津の資格を剥奪し活動を制限した。教勢は急速に衰え,同30年に復位したが2代目(島村信修)死去の失意のなか死去。以後教団は分裂し消滅。光津の予言や治病のカリスマ性と機関誌の発行,新聞の利用など時代を見抜く先見的な近代性は特筆される。<参考文献>奥武則『蓮門教衰亡史』

(武田道生)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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