デジタル大辞泉 「島秀之助」の意味・読み・例文・類語 しま‐ひでのすけ【島秀之助】 [1908~1995]プロ野球選手・審判。兵庫の生まれ。法大で活躍後、昭和10年(1935)名古屋金鯱きんこ軍に入団。昭和13年(1938)に審判員に転向。2リーグ分立の昭和25年(1950)セリーグ初代審判部長に就任。審判員として通算2605試合に出場した。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「島秀之助」の解説 島 秀之助シマ ヒデノスケ 昭和期のプロ野球審判 元・セリーグ審判部長。 生年明治41(1908)年6月21日 没年平成7(1995)年12月 出生地兵庫県神戸市 学歴〔年〕法政大学卒 主な受賞名〔年〕スポーツ功労者(文部省)〔平成3年〕 経歴神戸市立第一神港商、法政大学で野球選手として活躍し、逓信省簡易保険局勤務ののち、昭和11年金鯱に参加したが肩を痛め、13年には審判に。戦後、25年プロ野球がセ・パ両リーグに分れたあとはセリーグの審判部長(38年まで現役)となり、55年3月までつとめた。この間、審判として2605試合に出場、平成元年殿堂入り。2年まで野球機構規則委員を務めた。著書に「プロ野球審判の目」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島秀之助」の解説 島秀之助 しま-ひでのすけ 1908-1995 昭和時代のプロ野球選手,審判。明治41年6月21日生まれ。法大で外野手として活躍し,昭和5年の初優勝に貢献。11年金鯱(きんこ)に入団したが肩をこわし,13年審判に転向。25年セリーグ審判部長。55年の退任まで2605試合に出場し,審判技術の向上,後進の指導につくした。平成元年野球殿堂入り。平成7年12月26日死去。87歳。兵庫県出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「島秀之助」の解説 島 秀之助 (しま ひでのすけ) 生年月日:1908年6月21日昭和時代のプロ野球審判。セ・リーグ審判部長;野球機構規則委員1995年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by