嵯峨立村(読み)さがたちむら

日本歴史地名大系 「嵯峨立村」の解説

嵯峨立村
さがたちむら

[現在地名]東和町錦織にしこおり

北上川左岸の狭い谷間に集落が散在する。南は西郡にしこおり村、東は山越え狼河原おいのかわら村に続き、北は磐井いわい黄海きのみ(現岩手県東磐井郡藤沢町)、北上川対岸は大泉おおいずみ(現中田町)。山が北上川河岸に迫り、村域の大半は山地である。村名は五〇〇年以前に京都の刀鍛冶某がこの地で刀をうったため、京都の地名をとって名付けられたと伝える(錦織村史)平泉文化の影響もあり、京都との交流が盛んであったともいう。慶長五年(一六〇〇)の葛西大崎船止日記(伊達家文書)の「かさい中」に「さかたちの内 ふね壱そう」とある。正保郷帳に田二五貫七〇八文・畑一六貫三三六文とあり、ほかに同所新田五貫七七七文があり、水損・雑木山と注記される。「安永風土記」によれば、田三二貫七四四文・畑一九貫九〇七文で、蔵入は一六貫五二一文、給所は三六貫一三〇文、人頭一二七人、家数一三〇(ただし百姓名子水呑ともに)、男女都合七四三、馬一三〇で、渡世二・渡世小一・渡世高瀬舟四・小猟かっこ舟六と、田畑通用かっこ舟一・北上川往還通用渡船三があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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