デジタル大辞泉
「嶺南」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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嶺南 (れいなん)
Lǐng nán
中国で古く南嶺山脈(五嶺山脈ともいう)から南の地域をさした名称。主として今の広東省と広西チワン(壮)族自治区に当たる。唐初に全国を10道に分け,その一つとして嶺南道を置いたのが公式の区画名としての始まりである。のち嶺南東道・嶺南西道に二分し,宋がこれを受けついで広南東路・広南西路と称してから,広東・広西の名が生まれた。唐代この地方はなお未開地域だったが,五代をへて宋代になると開発が進んだ。なお,朝鮮では慶尚道地方を嶺南という。
執筆者:日比野 丈夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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嶺南
れいなん
Ling-nan
五嶺の南という意で,主として現在の中国広東省,広西自治区とベトナム北部をさす。秦の始皇帝が始皇帝 33 (前 214) 年に兵を進めて南越の都番禺 (広東) を陥れたのをはじめとして,以来中国歴朝はこの地を象牙,犀角,真珠などの産出地あるいは東南アジア産出品の集散地として注目した。唐代には広東に治府をおく嶺南道が設立され,両広およびベトナムの地を管轄区域とした。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の嶺南の言及
【福井[県]】より
…かつての越前・若狭両国からなり,畿内と北陸を結ぶ位置を占めるため〈北陸の玄関〉と呼ばれる。風土上の境界は敦賀市東方の木ノ芽山地にあり,この木ノ芽山地以北の旧越前国を嶺北(れいほく),以南の旧若狭国を嶺南(れいなん)と呼びならわしている。ただし敦賀地方は越前に属するが,風土上は嶺南に属する。…
【慶尚道】より
…朝鮮半島の南東部の地方。朝鮮八道の一つで嶺南地方ともよばれる。現在,韓国の行政区分上,慶尚南道と慶尚北道,[大邱]広域市,[釜山]広域市に四分されている。…
【朝鮮】より
…京畿道,江原道,忠清道を中部地方とし,全羅道,慶尚道,済州島(現在は済州道をなす)を南部地方とする。また京畿・忠清両道をさして畿湖,江原道を関東,全羅道を湖南,慶尚道を嶺南とよぶ場合もある。李朝初期の15世紀から行われた咸鏡,平安,黄海,江原,京畿,忠清,慶尚,全羅の8道制は自然地理を加味したすぐれたものであったが,日本の植民地時代には,行政的に咸鏡,平安,忠清,慶尚,全羅の5道をそれぞれ南北2道に分けた13道制をしき,現在は南北の両国家において,9道ずつの行政区画を行っている。…
※「嶺南」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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