出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
福井県敦賀市(つるがし)と南条郡南越前町(みなみえちぜんちょう)の境にある峠。標高628メートル。古代から近畿より北陸へ入る関門で、現在は北陸トンネルが直下を通る。『日本紀略』830年(天長7)に鹿蒜(かひる)山に開かれた嶮道(けんどう)がこの峠という。古代の北陸道は松原駅(敦賀)から敦賀湾東岸に渡り山越えしたが、鹿蒜駅の位置が不明で、この峠を越えたかどうかわからない。南越前町の新道(しんどう)地区からこの峠にかけての山地を現在は帰山(かえるやま)というが、一説には敦賀市五幡(いつはた)の背後ともいう。中世からは新保(しんぼ)(敦賀市)を通る陸路がとられ、この峠は源平両軍、道元、新田義貞(にったよしさだ)、蓮如(れんにょ)らが越え、織田信長と朝倉勢・一向一揆(いっこういっき)の戦場となった。峠には石畳道と豊臣(とよとみ)秀吉が与えた釜(かま)をもつ茶屋が残り、北にやや下ると言奈(いうな)地蔵がある。なお、福井県は、この峠のある山地で嶺南(れいなん)、嶺北(れいほく)の二大生活圏に分かれる。JR北陸本線南今庄駅下車、徒歩2時間。
[島田正彦]
福井県南部,敦賀市と南越前町の旧今庄町との境にあり,県を嶺南と嶺北に二分する峠。標高628m。古来近畿から北陸へ入る陸路の関門で,《日本紀略》に830年(天長7)越前国百姓上毛野陸奥公が開くというが,嶮道のため古代北陸道がここを越えたかは不明である。中世には源平両軍,道元,新田義貞,蓮如らが越え,信長と朝倉勢,一向一揆の戦場となった。明治以降,国道8号線が敦賀湾沿いを通り廃道に近いが,石畳と秀吉拝領の釜をもつ茶屋が残り,北側に言奈(いうな)地蔵がある。1962年北陸本線北陸トンネルが直下に開通した。
執筆者:島田 正彦
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