日本歴史地名大系 「川守田館跡」の解説
川守田館跡
かわもりただてあと
[現在地名]三戸町川守田 館
川守田町の北東、
伝承によれば天正一〇年(一五八二)南部信直が先代晴継の葬儀の帰途、九戸政実方の兵に攻撃され、急遽当館に逃れ、常陸入道とともに敵を迎え撃ったといい、この時信直自ら鉄砲をとり、敵将とおぼしい者を射殺したという(祐清私記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
川守田町の北東、
伝承によれば天正一〇年(一五八二)南部信直が先代晴継の葬儀の帰途、九戸政実方の兵に攻撃され、急遽当館に逃れ、常陸入道とともに敵を迎え撃ったといい、この時信直自ら鉄砲をとり、敵将とおぼしい者を射殺したという(祐清私記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...