川守田館跡(読み)かわもりただてあと

日本歴史地名大系 「川守田館跡」の解説

川守田館跡
かわもりただてあと

[現在地名]三戸町川守田 館

川守田町の北東、熊原(くまはら)川の下流左岸の丘陵地に位置する。川を挟んで南に三戸城跡がある。慶長三年(一五九八)の館持支配帳に「一川守田館四百石 木番川守田久右衛門」とある。永禄年中(一五五八―七〇)川守田常陸入道が居館し、一村五〇〇石を領していたといい(新撰陸奥国誌)、川守田久右衛門は常陸入道の子かとみられる。慶長六年の岩崎(いわさき)(現岩手県和賀郡和賀町)出陣の軍勢に「御馬所平士三十騎之内」として「四百石 川守田久右衛門 此下十四人」(聞老遺事)とみえる。

伝承によれば天正一〇年(一五八二)南部信直が先代晴継の葬儀の帰途、九戸政実方の兵に攻撃され、急遽当館に逃れ、常陸入道とともに敵を迎え撃ったといい、この時信直自ら鉄砲をとり、敵将とおぼしい者を射殺したという(祐清私記)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む