日本歴史地名大系 「川底村」の解説 川底村かわそこむら 福岡県:豊前市川底村[現在地名]豊前市上川底(かみかわそこ)・中川底(なかかわそこ)・下川底(しもかわそこ)下河内(しもがわち)村・大河内(おおかわち)村の南、岩岳(いわたけ)川上流域右岸に位置する。東境には求菩提(くぼて)山修験の松尾(まつお)山がある。犬(いぬ)ヶ岳の山並から延びる山と谷に囲まれた広大な山間村だが、耕地は少ない。河底とも記される(寛政七年「村々明細帳」友枝文書など)。元和八年人畜改帳に村名がみえ給人分、家数一五二・人数二八五(うち百姓一六・名子五七)、牛三八・馬一一。郷帳類では幕末まで川底村一村で高付され、郷村高帳では高九〇八石余、うち新田高四〇石余。旧高旧領取調帳では高七九八石余。しかし領内においては上・中・下の三村に分割されて把握され、各村に庄屋も置かれていた。 川底村かわそこむら 大分県:宇佐郡安心院町川底村[現在地名]安心院町川底境(さかい)ノ坪(つぼ)の東、中山(なかやま)谷奥方にある。北は船板(ふないた)村。近世の領主の変遷は妻垣(つまがけ)村に同じ。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高七二石余、人数一七、百姓三・名子二・牢人一、牛二。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by