川張村(読み)かわはりむら

日本歴史地名大系 「川張村」の解説

川張村
かわはりむら

[現在地名]丸森町大張川張おおはりかわはり

耕野こうや村の北東方、阿武隈川左岸の山村対岸丸森村。古く小野篁が近郷を悩ませていた大猪を退治しその皮を石に張付けたことから村名が起こったと伝える。天文七年(一五三八)の段銭古帳に「八貫五百文 川はり」とみえる。正保郷帳に田三九貫六〇〇文・畑一八貫二六九文とあり、松雑木山と注され、ほかに新田一貫九〇六文。「安永風土記」によれば田四一貫五三九文・畑一九貫五五五文(うち茶畑三貫一六四文)で、一貫二四四文の給所、ほかは蔵入地。


川張村
かわはりむら

[現在地名]灘崎町川張

彦崎ひこさき村の東、北東は児島湾に面する。慶長九年(一六〇四)検地帳(慶安二年写、灘崎町中央公民館蔵)では高一五九石余、田七町三反余・畑屋敷三町三反余、屋敷持名請百姓が一八人みえる。寛永備前国絵図では高一四二石余。享保六年(一七二一)の田畠一九町一反余、家数五四・人数三三七(備陽記)。その後川張新田二五石余(寛文四年備前備中当御代新田帳)を含め次々と新田開発がなされた。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると高一四二石余、直高二六四石で五六石余が蔵入、残りは家臣二人の給地、田一五町七反余・畑三町四反余、ほかに葭野よしの新開八町六反余、池七、樋一七、井戸一〇、橋五、育麦蔵一、家数七〇・人数三四四、牛四五、船一、家大工・木挽各一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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