明治時代、政府機関としての大教院、神道事務局より分派独立し、公認された神道系宗教団体の総称。神道大教(神道、神道本局)、神道修成(しゅうせい)派、黒住(くろずみ)教(神道黒住派)、出雲大社(いずもおおやしろ)教(神道大社(たいしゃ)派)、扶桑(ふそう)教(神道扶桑派)、実行(じっこう)教(神道実行派)、神道大成(たいせい)教(神道大成派)、禊(みそぎ)教(神道禊派)、神習(しんしゅう)教(神道神習派)、御嶽(おんたけ)教(神道御嶽派)、神理(しんり)教、金光(こんこう)教、天理教の13団体で、神道十三派また宗派神道とも称した(括弧(かっこ)内は旧称)。
明治新政府は祭政一致の政治体制確立を目ざし、1869年(明治2)9月、大教(当時、神道のことを大教また本教とよんだ)宣布のため宣教使の職制を定め、翌年正月には神祇(じんぎ)鎮祭の詔(みことのり)とともに、大教宣布の詔が発布され、宣教使が活動を始めた。しかし、その宣教使は神職と国学者が主で、説教のなかで仏教攻撃をすることが多く、弊害が生じたので、1872年宣教使の制を改め、教導職を置き、神道仏教各派合同して治教の精神を教導することとした。翌年大教院を設け、この間に江戸時代に発した宗教諸派からも教導職に任命される者を出していたが、統一に無理があったため1875年神仏分離してあたることとし、神道系は神道事務局を設けた。しかし、なお一致せず、分派独立する者が出、さらに1882年1月、神官の教導職兼補が廃止されるとともに、政府の手を離れ別派独立する者が続出し、それらが教派神道となった。
[鎌田純一]
国家神道の形成過程で,国家の祭祀である国家神道(神社神道)と区別された神道系宗教の総称で,宗派神道,宗教神道ともいう。教派神道の独立公認は,1876年,神道事務局から別派特立を許された黒住(くろずみ)教,神道修成派に始まり,82年を中心に,1908年の天理教にいたる14教に及ぶが,そのうち神宮教は,1899年解散して神宮奉斎会となったので,教派神道十三派,神道十三派と呼ばれた。教派神道は,国家神道体制のもとで,仏教,キリスト教とともに,神仏基三教と呼ばれ,事実上の公認宗教の扱いを受け,各教の管長は,勅任官待遇であった。
教派神道の主体は,幕末から明治期に成立した民衆を基盤とする習合神道系宗教である。独立教派の14教は,ほぼ次の3系統に分けることができる。(1)山陽・近畿の先進的農村を基盤に創唱された黒住教,天理教,金光(こんこう)教。(2)江戸時代後期に発達した富士信仰と木曾御嶽信仰の講を再編成した実行教,扶桑教,御嶽(おんたけ)教。(3)おもに明治初年に組織された惟神(かんながら)の道に立つ禊(みそぎ)教,神理教,神習教,大成教,神道修成派,大社教,神道本局(のち神道大教),神宮教。
第1の習合神道系創唱宗教では,黒住教は天照大神,太陽神を主神とする独自の民衆的神道説をかかげているが,天理教の天理王命,金光教の天地金乃神の信仰は,神社信仰を中心とする狭義の神道とは大きく隔たっている。
第2の山岳信仰系宗教では,実行教,扶桑教は富士信仰系で,実行教は,江戸時代後期に教義を体系化した身禄派富士講を受けついでいる。ほかに富士信仰系に,扶桑教のち神道本局所属の丸山教があり,理想世界の実現を呼びかけて,1880年代にめざましく発展した。御嶽教は,行法が中心で教義が未発達であった木曾御嶽信仰の講社を結集して,国家神道に沿う教義を付け加えた宗教である。
第3の惟神の道の各教では,幕末の吐菩加美(とほかみ)神道を受けついだ禊教と,家伝の巫部(かんなぎべ)神道に拠る神理教は,それぞれ民衆的神道説をかかげて,幕末すでに布教を行っていた。
他の6教は,明治初年の神道国教化政策と神道的国民教化政策のもとで組織された宗教である。神習教,大成教,神道修成派は,それぞれ創始者の神道説に拠る国家神道に沿う教義をかかげているが,神道教導職を組織した神道事務局を改編した神道本局とともに,多様な民間の教会・講社を結集して教勢の基盤としていた。大社教と神宮教は,それぞれ出雲大社と伊勢神宮の既成の講を再編成した宗教である。神道本局の付属教会の蓮門教は,法華神道をかかげ,1880年代を中心に教勢を拡大したが,のち衰えた。
教派神道の多くは,国家神道体制下で,仏教系,キリスト教系以外の民間の宗教を幅ひろく結集して教団を形成した。民衆の生活に根ざしたこれらの自主的な宗教団体は,教派神道に所属することで,活動を合法化し,政府の圧迫干渉を免れることができた。教派神道各教にとって,独立公認は,政府の統制支配と,国家神道に沿う教義の強制をもたらしたが,反面,各教に特権的地位を与え,民間の多様な宗教を支配下に組み入れて,天皇制的国民教化に役だたせる役割を課したのである。1945年国家神道の廃止にともない,教派神道の存在理由も消滅した。現在では,神道修成派,神習教,天理教を除く旧教派神道10教と大本教が,連絡親睦の組織として教派神道連合会をつくっている。
執筆者:村上 重良
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明治初年以降に布教が展開された,基本的に神道の考えに立脚した新興宗教。国家祭祀を担当する国家神道とは別に,神道の宗教的部門を行うものとして位置づけられ,神道事務局の設立を契機に1876年(明治9)の黒住(くろずみ)教以降,国家に公認されて活動を行った。神道十三派と99年に解散した神宮教の14派を総称すると考えられる。種々の神道・陰陽(おんみょう)道・修験道・山岳信仰・国学など,多様な宗教・民間信仰・学問を教義の基底におき,布教開始年代や教団の組織化,開祖の前歴などについても,各教派の性格は多様である。
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…神道に共通する教義体系をつくることは不可能であること,国家が復古神道的な教説で宗教活動を直接に統制することは近代国家にふさわしくないことなどを認識した政府は,82年には神官の教導職兼補を廃止し,神官は葬儀に関与しないことを定めた。こうして神社は,祭祀儀礼を中心とすることになり,独自の教義体系をもつ神道教団は教派神道として独立した。広い意味では,維新政府成立直後からの神道国教化政策を含めて国家神道と呼んでもよいが,近代日本において独特の国教制度として定着したのは,右のような過程をへて成立した神社崇拝,神社祭祀,神社制度であり,それが国家神道と呼ばれている。…
…中世の末に大きな力を持つようになった吉田神道は,その例であるが,日本の民族宗教の代表的なものとして吉田神道の教説に接したキリシタンの宣教師が,日本人の信仰をXinto(中世の神道家の中には濁音を嫌う人々が多く,神道の二字をシンドウではなくシントウと読むことが主張されていた)ということばでとらえたことに端を発して,神道の語は外国に知られることになった。しかし,明治時代に神道が国教化されると,国家の祭祀として宗教を超えたものと主張された神道は,大教,本教,古道,惟神道(かんながらのみち)などと呼ばれ,仏教やキリスト教と同列とされた教派神道諸派が神道の語で呼ばれたこともあって,日本固有の民族宗教をあらわすことばは多様なままに推移し,研究者の間でも神祇,神祇信仰ということばが用いられることが多かった。他方,西欧諸国の日本研究・紹介者の間では,Shinto,Shintoismの語が一般化したため,昭和に入り日本人の間でも,神道ということばが一般に用いられるようになり,日本固有の信仰の多様な性格を,古神道,神社神道,教派神道,民俗神道をはじめさまざまに分けて考えることも一般化した。…
※「教派神道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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