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金光大神 こんこうだいじん

百科事典マイペディアの解説

金光大神【こんこうだいじん】

幕末〜明治の神道家。金光教教祖。戸籍上は強要されて〈大陣〉と表記。備前国浅口(あさくち)郡の農家に生まれ,旧名川手文治郎。当時,迷信として流行していた金神(こんじん)の性格を改め,天地金乃神と崇(あが)めた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

金光大神 こんこう-だいじん

1814-1883 幕末-明治時代の宗教家。
文化11年8月16日生まれ。香取(かんどり)繁右衛門の兄。金光(こんこう)教の教祖。安政2年42歳の厄年に重病にかかるが奇跡的にたすかる。これを機に,祟(たた)り神とされていた金神(こんじん)を信心。やがて金神からの知らせをうけるようになる。6年以後は神命により神と人との取り次ぎに専念した。明治16年10月10日死去。70歳。備中(びっちゅう)(岡山県)出身。本姓は香取。前名は川手文治郎,赤沢文治。戸籍名は金光大陣。著作に「金光大神御覚書(おんおぼえがき)」「お知らせ事覚帳(おぼえちょう)」。

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世界大百科事典 第2版の解説

こんこうだいじん【金光大神】

1814‐83(文化11‐明治16)
金光教の創唱者(戸籍上は金光大陣と改名を強要された)。幼名は源七,川手家の養子となり文治郎,通称文治,のち赤沢姓,金光姓。備中国浅口郡占見村の農民香取十平・しもの5男3女の次男。1825年(文政8)隣村の大谷村(現,岡山県浅口郡金光町)の没落自作農川手粂治郎の養子となる。幕府天文方渋川景祐の門人で陰陽頭土御門家の直門であった同村庄屋小野光右衛門に手習いをならい,36年(天保7)に家督を継ぎ,農事に精励家産を回復した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

金光大神
こんこうだいじん
(1814―1883)

宗教改革者、金光教教祖。備中(びっちゅう)国占見(うらみ)村(現岡山県浅口市)の農民香取(かんどり)家に生まれ、12歳で川手(かわて)家の養子となり(川手文治郎)、のち赤沢文治(ぶんじ)、さらに金光大神と改める。42歳で民間信仰の神、金神(こんじん)との出会いによる回心体験を通して、民間信仰の雑多な習俗、概念を昇華・純化し、封建、近代社会の禁忌(タブー)を打破、新たな宗教的世界を開いた。1859年(安政6)、天地金乃神(てんちかねのかみ)(金神)の召命を受け取次(とりつぎ)を開始、後半生をそれに捧(ささ)げた。取次は、神の人類救済の願いを人に伝え、人の難儀を神に祈る救済行為である。自叙伝『金光大神御覚書(おぼえがき)』をはじめ、『お知らせ事覚帳』『理解』は宗教思想、宗教史上、重要な意義をもつ。[荒木美智雄]
『金光教本部教庁編・刊『金光大神』(1955)』

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世界大百科事典内の金光大神の言及

【金光教】より

…教派神道の一派。1859年(安政6)10月21日に金光大神(川手文治郎)が〈立教神伝〉によって開教したもので,1900年6月に政府から独立を公認された。金光大神が説く天地金乃神は,祟り神としての金神ではなく,大地の神,愛の神であり,天地の祖神,日本さらに世界の総氏神とされる最高神的な救済神としての性格をおびている。…

※「金光大神」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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