朝日日本歴史人物事典 「巨勢文雄」の解説
巨勢文雄
平安初期の官人。左京の住人。もと味酒(首)文雄と称したが貞観3(861)年9月,巨勢(朝臣)への改姓を許されている。本来なら一族の(名である)平群と改姓されるはずのところ,嘉名でないとの理由から本宗の巨勢を申請したもの。文章博士,大学頭などの経歴が示すように,学者として知られる。再建後の応天門の改名問題あるいは朱雀,羅城門の名義の解釈などに関与する一方,元慶2(878)年8月,皇弟貞保親王の読書始めの宴には,右大臣藤原基経から招かれ,詩を賦している。三善清行は文雄に師事し,その推挙で方略試を受験したというが,『江談抄』には推挙をめぐって清行と菅原道真の対抗意識を示すエピソードが収められている。
(瀧浪貞子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報