平安前期の文人官僚。江相公(ごうしようこう)と呼ばれる。大江本主の子。阿保親王の子とする説もある。大学寮に学び,対策に及第後,少内記,東宮学士などを経て,左少弁となり,以後弁官を歴任する。864年(貞観6)参議。清和天皇に《史記》を進講,877年南淵年名が行った尚歯会に加わる。従三位左衛門督に至る。史書に〈通儒〉と評されるように音人の本領は詩人であるよりむしろ学者であった。貞観格式の撰定の中心となり,《文徳天皇実録》の編纂にも参与した。また帝王学の書《弘帝範》と類書《群籍要覧》を編纂(ただし現存しない)。現存する詩文は少なく,《日観集》および《扶桑集》の詩人であったが,音人の作と確定できる詩は残らない。文章は〈貞観格式序〉など数編がある。家集《江音人集》も伝わらない。文人社会における大江氏の地位を確立し,江家の始祖と称された。
執筆者:後藤 昭雄
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(村井康彦)
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平安前期の学者。平城(へいぜい)天皇の曽孫(そうそん)と称する。菅原清公(すがわらのきよきみ)に学び、東宮学士、左大弁を経て参議になる。詩人よりも学者として政策や故実に明るく、検非違使(けびいし)別当のときに長岡の獄所を改革した話は名高い。天皇のために『弘帝範』3巻を撰(えら)び、古書を抄出分類して『群籍要覧』40巻を編したが現存しない。また菅原是善(これよし)らと『貞観格式(じょうがんきゃくしき)』を編纂(へんさん)した。詩文集『江音人集』は散逸したが、儒家として大江家を確立した。仏道を深く信仰し信義に厚い性格はのちに往生伝に収められる原因となった。
[大曽根章介]
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…一方,平城天皇皇子阿保親王の後裔とする説がある。すなわち《尊卑分脈》《大江氏系図》などには,大江音人(おとんど)の父本主を阿保親王の子とする。また音人を直接阿保親王の子とする《続本朝往生伝》などもある。…
※「大江音人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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