巨勢邑治(読み)こせのおおじ

改訂新版 世界大百科事典 「巨勢邑治」の意味・わかりやすい解説

巨勢邑治 (こせのおおじ)
生没年:?-724(神亀1)

奈良時代前期の律令貴族。祖父とも記す。巨勢徳陀古の孫,黒麻呂の子。堺麻呂の伯父にあたる。693年(持統7)監物けんもつ)の任にあるとき罪をうけ,位階をおとされ見任を解かれた。701年(大宝1)遣唐大佑に任じられ,翌年渡唐。副使として707年に帰朝した後は,正五位上,播磨守,中務卿,右大弁,中納言などを歴任し,正三位にて没した。
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関連語 梅村

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「巨勢邑治」の解説

巨勢邑治 こせの-おおじ

?-724 飛鳥(あすか)-奈良時代の公卿(くぎょう)。
巨勢徳太(とこだ)の孫。粟田真人(あわたの-まひと)を執節使とする遣唐使の大位(判官)に任じられ,大宝(たいほう)2年(702)唐(とう)(中国)にわたる。慶雲(きょううん)4年副使となって帰国。のち播磨守(はりまのかみ)などをへて,養老2年中納言となった。正三位。神亀(じんき)元年6月6日死去。姓は許勢,名は祖父ともかく。

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世界大百科事典(旧版)内の巨勢邑治の言及

【巨勢氏】より

…許勢とも記す。奈良盆地南西部を本拠地(《和名抄》に,高市郡巨勢郷がみえる。現,御所市古瀬)とした臣姓の有力古代豪族。その祖,巨勢小柄宿禰は,武内宿禰の子と伝承されており,蘇我氏,波多氏,葛城氏らとともに,武内宿禰の後裔と称していた。巨勢氏の本拠地は,曾我川の上流に近い山間で(コセの地名は,こうした地形に基づく),紀伊に至る紀路が走る要衝である。蘇我氏,波多氏,葛城氏の本拠地とも近く,いずれの地も,曾我川の灌漑範囲であること,紀路沿いであることが,武内宿禰を共通の祖と仰ぐ同族意識をはぐくんだのであろう。…

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