市村渡
いちむらのわたし
[現在地名]長野市若里
北国脇往還の犀川の渡場。また川中島丹波島の渡しともいった。北岸は中世の市村庄に属し、近世は市村の船頭によって舟渡しを行ったため市村渡と称した。
慶長八年(一六〇三)北国脇往還改修によって、これまで犀川上流の小市渡と下流の綱島渡が併用されていたが、市村渡が主渡船場となった。同一五年の市村船頭らの松平忠輝への訴状及び裏書(丸山史料)に、
<資料は省略されています>
とあるように、船頭一一人は八〇石の田地役を免除されており、元和四年(一六一八)五月、酒井忠勝から市村渡守らに田地役一〇〇石分の諸役が免許され(郡役御小役免許調)、以後江戸時代を通じて変わることがなかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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