市鎮(読み)しちん(英語表記)shì zhèn

改訂新版 世界大百科事典 「市鎮」の意味・わかりやすい解説

市鎮 (しちん)
shì zhèn

中国の宋代以後,農村の市場中心地の称。鎮市ともいう。中国社会は早くから自給性を失っていたものの,地方農村部に集落が目立つようになるのは六朝以後であり,政府が県城に公認の市(いち)を設け統制することで重要な流通は支障をきたさなかったようである。六朝以来,地方への入植が進んで農村経済が興起し,結節点として草市(そうし)(非公認の市)が登場した。唐宋変革期の商業革命の下で,はじめて鎮と呼ぶ町が多発し,政府は財政の便宜上鎮の大半を公認し,宋の半ばで1135県下に1815鎮があった。鎮は徴税・治安面では政府より農村並みに待遇されたが,数千戸にも及ぶ人口,その商工活動,内地税や専売の機関の存在は,政府をしてその住民を都市民扱いとし,監鎮官を派遣して半都市行政の対象とするに十分であった。鎮の誕生で民衆は経済的には鎮に出入りし,政治的には農村並みの一元支配の下に立つという二重構造にとらえられ,唐以前に比べれば自律の幅を広げた。

 鎮は県城レベルの都市間商業の下位に立つことで,全国規模の商業の影響を受ける一方,鎮の下位に多数に存在する村市(そんし)を介して農民の生産を吸い上げ,かつ塩・茶・繊維などの遠隔地流通品を配給する仲介者となった。ふつう一鎮に数個の村市が帰属し,一村市には十数村が帰属して,社会は鎮・市の交易圏でブロック状の細胞の網の目にとらえられ,農民の経済生活の過半は市鎮との取引に巻き込まれた。こうした状況の最盛期は明末~清末であり,清末には3万の村市があり,辺僻地では根強く残って最近3万の市集が復活している。

 9~20世紀に市鎮が発達し持続したことは,中国社会の早熟性と進化の緩慢性の反映である。社会の分化が進み,唐・宋以後生産増と商業化が進んだことがその促成因であるが,一方,県城レベルの都市数が政府の意図で人口増と無関係に1500内外に固定されて都市化が頭打ちとなり,交通の革新がないままに全国の地域統合がおくれたことが持続を促した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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