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盆市、花市ともいわれ、盆行事に必要な品物を売る市。7月(または8月)10日すこし前から13日にかけて(日は所によって一定)、道端や寺の前の空き地を利用して立ち、盆提灯(ちょうちん)、灯籠(とうろう)、盆棚に敷く花茣蓙(ござ)、経木(きょうぎ)、蓮(はす)の花、飾り物の牛馬に用いる苧殻(おがら)・なす・きゅうり、果物などのほか、盆花(禊萩(みそはぎ)・桔梗(ききょう)・女郎花(おみなえし)・萩(はぎ)・酸漿(ほおずき)など)が売られるのである。村方では、周囲の畑や山野から材料を求めて盆行事のしつらえをすることが多いが、それの困難な町方が増えて、しだいに草市が求められるようになったのであろう。とくに盆花に、正月の門松や若木と同じく神霊の依代(よりしろ)的性格を認めて(飾り物の牛馬にも同様の性格がある)、一定の山からの盆花迎えを先祖迎えと解している所は少なくないが、それを買い求めるようになったことは、盆行事の一つの変化を示すものといえよう。草市は暮れの年の市と並んで、商われるものの限定された、のちに控えているハレ(晴)の日を迎えるための市としてにぎわい、人々に季節の変わり目を感じさせるものである。
[田中宣一]
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中国の都市郊外や農村部の市場(いちば)の古称。〈草〉は田舎の,粗末な,非公式のという意味。漢(前206-後220)から唐(618-907)まで,公式の市は各県城内のきまった場所で開かせて,政府が統制していた。しかしすでに東晋(317-420)のころから華中・華南の拓殖がすすんで農村部に集落が広がり,人口もふえて,県城の郊外や僻村に草市が発生した。宋代にはこうした市場が網の目のように広がり,総称して草市と呼んだが,規模や機能が分化してくると市鎮(しちん)や市集(ししゆう)が総称語となった。
執筆者:斯波 義信
盆市,花市ともいい,盆行事用品を売る市。この市に欠かせない品物は,祖霊の依代(よりしろ)と考えられる盆花と,精霊棚用の材料などである。盆花は,もともと山から採ってきたものであろう。青森県,鹿児島県,佐渡島では,盆市に買いものに出ることを,仏様迎えに行くともいう。一方,公的,大々的な市以外の,ふだんの市を“草野球”と呼ぶときの感覚と同じように,草市というところもある。
執筆者:北見 俊夫
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… 商業区域としての市の制度は,唐の中ごろ以後しだいにゆるんで他の坊にも進出し,北宋になると坊制の廃止に乗じて商店は街頭にも現れ,南宋になると都市内のいたる所に見られるようになり,夜間営業の禁もおのずからすたれた(開封)。一方,南北朝時代から唐・宋時代にかけて,地方の小集落や州県城の郊外の交通の便利な場所に〈草市〉とよばれる商業地域が現れ,ときには〈鎮〉とよぶ行政単位に昇格することもあった。〈草市〉も元来は定期市であったらしいが,宋以後の市制度の崩壊後,〈定期市〉が地方都市や郷村のみならず国都でも見られるようになった。…
…行には首長がいて行内商店の取締りに任じたが,彼らは行頭または行首と称せられた。このような市は,唐代では県治以上の都市に設けられ,それ以下の小都市や村落には草市が置かれるのが常態であったが,こうした市の制度は宋代に至って一変した。すなわち,変化の傾向は唐代後半に現れていたが,北宋の中期以後になると,商店の設置を市の内に限る制度は完全に崩壊し,営業時間の制限も破れて夜間の売買も自由となり,夜市と呼ばれるものが出現した。…
※「草市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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