常遇春(読み)じょうぐうしゅん(その他表記)Cháng Yù chūn

改訂新版 世界大百科事典 「常遇春」の意味・わかりやすい解説

常遇春 (じょうぐうしゅん)
Cháng Yù chūn
生没年:1330-69

中国,明朝開国の功臣。安徽省懐遠の人。字は伯仁。はじめ盗賊となっていたが,1355年(至正15)明の太祖部下となり,長江揚子江)の南北転戦して多くの戦功をたてた。陳友諒張士誠討伐に当たっても副将軍として大功があり,鄂(がく)国公に封じられた。68年(洪武1),徐達とともに北征し,元軍を各地に破り元都に入り,さらにココ・テムルを攻め,也速を全寧に破り,開平を抜いたが,柳河川で急死した。死後開平王に追封された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 谷口

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「常遇春」の意味・わかりやすい解説

常遇春
じょうぐうしゅん
Chang Yu-chun; Ch`ang Yü-ch`un

[生]至順1(1330)
[没]洪武2(1369).7. 柳河川
中国,明朝開国の功臣。懐遠 (安徽省懐遠県) の人。字は伯仁。勇猛果敢な名将として活躍。至正 15 (1355) 年太祖 (→洪武帝 ) の部下となり,各地に転戦,陳友諒張士誠らの群雄をくだすのに大功を立てた。洪武1 (68) 年徐達とともに北征し,元都に入り,さらに太原にココ・テムル (拡廓帖木児)を破り,全寧にエス (也速) を討ち,ついに開平を攻め落し,元の順帝を北走させたが,帰途柳河川で急死した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む