張士誠(読み)ちょうしせい(英語表記)Zhāng Shì chéng

改訂新版 世界大百科事典 「張士誠」の意味・わかりやすい解説

張士誠 (ちょうしせい)
Zhāng Shì chéng
生没年:1321-67

中国,元末群雄の一人。泰州江蘇省)の人。塩の運搬および密売を業としていたが,1353年(至正13)起兵,泰州・高郵を攻略し,翌年大周国をたて誠王と称した。大運河を遮断し淮東(わいとう)の産塩地をおさえたため,しばしば元から攻撃されたが,主将の脱脱(トクト)が失脚したことにより危機を脱してのち,長江揚子江)下流域に勢力を拡大した。56年都を高郵から平江(蘇州)に遷したが,このころから集慶(南京)に拠点を置く朱元璋(明の太祖)と抗争をくりかえした。内部統制力の差から形勢不利になると,元に下って回復を策したが,63年には再び自立し呉王と称した(張呉国)。しかし64年江西の陳友諒を破った朱元璋がその主戦力を投入すると勢力は一挙に逼迫(ひつぱく)し,67年平江が陥落した際捕らえられ自殺した。宗教的色彩の濃い紅巾軍が主流を占める元末群雄のなかにあって,宗教性を持たずに集団を形成し政権をたてた点は浙江の海運業者方国珍とともに特徴的である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「張士誠」の意味・わかりやすい解説

張士誠
ちょうしせい
(1321―1367)

中国、元(げん)末群雄の1人。泰(たい)州(江蘇(こうそ)省泰県)の製塩場の一つ白駒(はっく)場に籍を置く塩の仲買人の出身。1353年、塩場管理の官吏や豪戸(ごうこ)と、塩丁(えんてい)との間に争いが起こったのに乗じ、塩丁を集めて乱を起こし、泰州ついで高郵(こうゆう)を占領、これによって「誠王」と称した。のち一時、元朝に下ったが、56年には揚子江(ようすこう)デルタ地帯の中心蘇州(そしゅう)(江蘇省)を占領し、ここに本拠を構えて「呉王」を自称した。彼の勢力は一時、江蘇省から浙江(せっこう)省一帯に及ぶ富強政権となったが、富におごり、政治が弛緩(しかん)した。当時南京(ナンキン)を本拠としていた朱元璋(しゅげんしょう)(明(みん)の太祖)との抗争に敗れ、67年明軍に捕らえられて自殺した。

[谷口規矩雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「張士誠」の意味・わかりやすい解説

張士誠
ちょうしせい
Zhang Shi-cheng; Chang Shih-ch`êng

[生]至治1(1321).江蘇,泰州
[没]至正27(1367).金陵
中国,末の群雄の一人。兄弟とともに塩の運搬と密売を業としていたが,至正 13 (1353) 年塩丁を集めて乱を起し,泰州,高郵を陥れて翌年自立し,国を大周 (のち呉国) ,年号を天祐と称した。次いで同 16年には江南に進出し平江府 (蘇州) に拠ったが,同じく江南の経済先進地帯を基盤とする朱元璋 (→洪武帝 ) と競合し,以後 10年にわたって争覇戦を展開し,ついに同 26年から翌年にかけ徐達らの総攻撃にあって大敗,捕えられて金陵に送られ,縊死した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「張士誠」の解説

張 士誠
ちょうしせい

1321〜67
元末期の群雄のひとり
泰州(江蘇省)の人。塩の仲買人で,塩丁(製塩労働者)を集めて反乱を起こし,江蘇省から浙江省にわたって大周国を建設,呉王を称したが,明を建てた朱元璋 (しゆげんしよう) に滅ぼされた。

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世界大百科事典(旧版)内の張士誠の言及

【杭州】より

…マルコ・ポーロら元代杭州を見た外国人たちは驚異のまなざしで当時の世界最大の100万都市のことを書きとどめている。元末の反乱でここに拠った張士誠は,1359年(至正19),城壁を東に拡張して全周約18kmとし,これが民国まで続く。明・清時代から現在に至るまで,杭州府(杭県・杭州市)は浙江省の省都として,政治,経済,文化の中心となり,中国屈指の大都市としての位置を保持している。…

【松江】より

…元代には特に綿花栽培が盛んで,明・清時代も全国の紡績業の中心として,蘇州と並んで栄えた都市であった。その生産力を背景に,元末には張士誠がここを根拠地として明の朱元璋に抵抗した。明代には倭寇の跳梁が激しく,清末にも太平天国軍と清朝軍の戦闘地となった。…

※「張士誠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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