コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

徐達 じょたつXu Da; Hsü Ta

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徐達
じょたつ
Xu Da; Hsü Ta

[生]至順3(1332)
[没]洪武18(1385)
中国,明初の功臣。濠 (安徽省鳳陽県) の人。字は天徳。農民出身。郭子興部将であった朱元璋 (→洪武帝 ) の部下となり,先鋒として各地に転戦,常遇春らとともに張士誠陳友諒らの群雄を破り,元璋の覇業達成に大功を立てた。洪武1 (1368) 年元璋が帝位につくと,征虜大将軍として北征し,元の大都を占領,その勢力を華北から一掃した。彼は軍略に長じ,軍令厳粛で,帝に対しても恭謙であった。その功は建国の功臣中第一とされる。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

じょたつ【徐達 Xú Dà】

1332‐85
中国,明の軍人。濠州(安徽省)の人。1353年(至正13)郭子興の配下にあった同郷の朱元璋(明の太祖洪武帝)に従い集慶(南京)の攻略,陳友諒・張士誠との戦いに大功をあげ,67年以後は征虜大将軍として北征し,翌洪武元年,元の都大都を陥落させ,さらに山西陝西に軍を進めて元の残存勢力を駆逐した。この間右丞相などを歴任したが,その功は勲臣第一とされ魏国公に封じられ,死後は武寧と諡(おくりな)され,中山王に追封された。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徐達
じょたつ
(1332―1385)

中国、明(みん)初の政治家。元(げん)末、朱元璋(しゅげんしょう)の反乱軍(紅巾(こうきん)軍)に参加し大いに功績をあげた。1364年、朱元璋が呉王になると、左相国(しょうこく)に任ぜられ、また大将軍として張士誠(ちょうしせい)を屈服させるのに活躍した。67年、征虜大将軍として25万の大軍を率いて北伐、翌68年には元の大都(北京(ペキン))を占領、順帝をモンゴル高原に追放した。この年、明帝国が成立し、彼は中書省右丞相(じょうしょう)に任ぜられた。大都占領後も、山西、陝西(せんせい)に転戦、元の残存勢力を鎮圧し、70年その功により魏(ぎ)国公に封ぜられた。72年、彼はまた大軍を率いて元の残存勢力とモンゴリアに戦い、翌年これを制圧した。死後に中山王に追封された。政治家というよりも軍略家としての才能に優れていた。[山根幸夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

徐達の関連キーワードココ・テムル(拡廓帖木児)天徳湯和

今日のキーワード

明鏡止水

《「荘子」徳充符から》曇りのない鏡と静かな水。なんのわだかまりもなく、澄みきって静かな心の状態をいう。「明鏡止水の心境」...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android