朝日日本歴史人物事典 「平内正信」の解説
平内正信
生年:天正11(1583)
江戸初期の大工。平内吉政の子。幕府作事方大棟梁に登用され,平内家初代となる。政信とも記し,越前守に任官。流派は四天王寺流。慶長13(1608)年から15年にかけて,父の吉政と共に最初の体系的な木割書である『匠明』を著す。木割とは建築物の各部の比例のことで設計の基準とされた。後半生は関東に活動を移し,鹿島神宮の木造狛犬の元和5(1619)年胎内銘に「紀州根来,平之内正信作之」と記す。寛永9(1632)年造営の増上寺台徳院霊廟に,下棟梁のひとりとして名を残す。同年10月,平内・甲良・鶴の3家は新設された幕府作事方大棟梁職に就任。その後,日光東照宮の寛永度造営にも参加。<参考文献>伊藤要太郎『匠明五巻考』
(谷直樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報