平口村(読み)ひらくちむら

日本歴史地名大系 「平口村」の解説

平口村
ひらくちむら

[現在地名]浜北市平口

長上ながのかみ郡に所属。小松こまつ内野うちの両村の北、三方原台地東端に位置し、東部を馬込まごめ川が、西部を馬込川支流の御陣屋ごじんや川が南流する。遠江国をめぐる今川氏と斯波氏抗争のさなかの永正七年(一五一〇)一一月二三日、今川氏の重臣朝比奈氏は今川軍が平口・小松や有玉ありたま市野いちの(現浜松市)などの地に着陣したことを大沢氏に伝えている(「朝比奈泰熙書状」大沢文書)。永禄一一年(一五六八)一二月二六日、徳川家康は鵜殿三郎氏長らに二俣ふたまた(現天竜市)に在城して防備するよう命じ、「平口」を含む一六ヵ所の地を安堵している(「徳川家康判物写」譜牒余録後編)


平口村
ひらぐちむら

[現在地名]西尾市平口町

市の南端に位置する矢作古やはぎふる川右岸に開けた集落。北は市子いちご村、東は篠曾根ささぞね村、南は兵吉へいきち新田(現幡豆郡一色町)、西は池頭いけがしら(現一色町)に接する。村名の由来は、平地・新開地から出たものと考えられる。近世は西尾藩領。慶長九年(一六〇四)の村高三一二石八升二合、ほかに修法寺領一石三斗一升(米津清右衛門検地高)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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