平塩寺跡(読み)へいえんじあと

日本歴史地名大系 「平塩寺跡」の解説

平塩寺跡
へいえんじあと

[現在地名]市川大門町 平塩岡

平塩岡の城ひらしおのおかのじよう山の北面にあり、白雲山と号し、平塩山白雲はくうん寺ともいった(寺記)。天平勝宝七年(七五五)行基の創建と伝え、阿弥陀如来本尊とする東塔院と薬師如来を本尊とする西塔院があった。延暦年間(七八二―八〇六)に法相宗から天台宗に改めたという(寺記)。盛時には天台百坊と称されるほどの多数の子院があったと伝える(市川大門町誌)。大治五年(一一三〇)武田冠者義清・清光父子が甲斐国市河庄に配流されるが、このとき義清の兄弟の覚義が近江園城おんじよう寺から当寺の住僧に任ぜられたと伝え(新編武蔵国風土記稿)甲斐源氏土着に力になったと考えられる。また治承四年(一一八〇)八月源氏旗揚げの際に安田義定らと行動を共にした甲斐の住人市川別当行房(「吾妻鏡」同年八月二五日条)や平塩寺過去帳(花園院蔵)にみえる市川別当五郎行重(行房息)は当寺の大檀那であった可能性もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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