平尾貴四男(読み)ヒラオ キシオ

20世紀日本人名事典 「平尾貴四男」の解説

平尾 貴四男
ヒラオ キシオ

昭和期の作曲



生年
明治40(1907)年7月8日

没年
昭和28(1953)年12月15日

出生地
東京市日本橋区馬喰町(現・東京都中央区)

学歴〔年〕
慶応義塾大学独文科〔昭和5年〕卒,セザール・フランク音楽学校(パリ)〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日音楽賞(特別賞)〔昭和29年〕

経歴
慶大予科医学部進学科時代からラウルトップ、弘田龍太郎らに楽理を師事。昭和6年パリに留学、パリ・スコラ・カントルム、セザール・フランク音楽学校などに学んだ。10年帰国後、ローゼンストックに指揮法を学ぶ。傍ら、留学中に作曲した「古代讃歌」「隅田川」を発表、12年と13年に新響邦人作品コンクールに入選。15年には「弦楽四重奏曲」が日本作曲家連盟第1回室内楽賞を受賞。22年から国立音楽学校教授となり、23年グループ“地人会”を結成、24年日本現代音楽協会第3代委員長。代表作に「ピアノソナタ」「ヴァイオリン・ソナタ」「オーボエ・ソナタ」「木管五重奏曲」、訳書にT.デュボワ「和声学」、O.メシアン「わが音楽語法」などがある。平成5年妻子やゆかりの音楽家たちによって“没後40周年記念コンサート”が開催され、今回が初演となる「フルート組曲」などが演奏された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「平尾貴四男」の解説

平尾 貴四男

東京生まれ。17歳より大沼哲に作曲を学ぶ。1930年慶應義塾大学卒業。翌31年フランスに渡り、スコラ・カントルム及びセザール・フランク音楽学校でリオンクールらに師事。35年に帰国後、新交響楽団(現N響 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平尾貴四男」の解説

平尾貴四男 ひらお-きしお

1907-1953 昭和時代の作曲家。
明治40年7月8日生まれ。慶大在学中から弘田竜太郎らに師事。昭和6年フランスに留学。帰国後,「古代讃歌」「隅田川」などを発表。22年国立(くにたち)音大教授,23年地人会を結成。日本現代音楽協会委員長。代表作に「木管五重奏曲」「ピアノ-ソナタ」など。昭和28年12月15日死去。46歳。東京出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「平尾貴四男」の解説

平尾 貴四男 (ひらお きしお)

生年月日:1907年7月8日
昭和時代の作曲家
1953年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の平尾貴四男の言及

【バイオリン】より

…また製作面でも水準の高い楽器がアメリカなどに輸出されるようになった。戦後の日本人作曲家によるバイオリン曲には,1952年ガロア・モンブラン賞を受賞しパリで出版された平尾貴四男の《バイオリン・ソナタ》(1947),伝統音楽の語法の解体・再構成を試みた間宮芳生の《バイオリン協奏曲》(1959),三善晃のロマン的資質をよく示した《バイオリン協奏曲》(1965)などがある。【片山 千佳子】。…

※「平尾貴四男」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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