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平山省斎 ひらやませいさい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

平山省斎
ひらやませいさい

「平山敬忠 (ひらやまよしただ)」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平山省斎 ひらやま-せいさい

1815-1890 幕末-明治時代の武士,神道家。
文化12年2月19日生まれ。幕臣。徳川慶喜(よしのぶ)の側近として外国奉行などをつとめる。維新後,東京の日枝(ひえ)神社や大宮の氷川神社の神職となり,神道大成教を創始した。明治23年5月22日死去。76歳。陸奥(むつ)三春(福島県)出身。本姓は黒岡。名は敬忠(よしただ)。字(あざな)は安民。通称は謙二郎。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

平山省斎

没年:明治23.5.22(1890)
生年:文化12.2.19(1815.3.29)
明治前期の神道家。神道大成教および御岳教の初代管長。奥州三春(福島県)の生まれ。20歳のとき,初めて江戸に出て遊学。漢学,国学などを学び,嘉永3(1850)年,幕府の小普請平山源太郎の養子となり家督を継ぐ。幕末には,徳川慶喜側近として外国奉行などを務める。維新直後,しばらく蟄居を命じられるが,やがて神道家として活動。明治5(1872)年に教導職。同8年には日枝神社祠官,翌年には氷川神社大宮司。同12年に大成教会を結集し,教長となる。同15年,敬神愛国を唱える神道大成派が一派独立すると,その初代管長となった。<著作>『本教真訣』『修道真法』<参考文献>井上順孝『教派神道の形成』

(井上順孝)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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