平島館跡(読み)ひらじまやかたあと

日本歴史地名大系 「平島館跡」の解説

平島館跡
ひらじまやかたあと

[現在地名]那賀川町古津

中世から近世へかけての屋敷跡。平島公方館・平島公方屋敷・御所ともいう。構築年代は不詳。水田地帯の中に位置し、遺構は北側に当時の堀の一部がわずかに残っている程度。周辺には御門前ごもんぜん・お花畑はなばたけ・騎射馬場などの地名が残り、北東隅には三社神社があったという。初代足利義維は第一〇代将軍足利義稙の子(養子)で、のち義冬と改名した。天文三年(一五三四)阿波に渡り、平島に居住し、これが阿波公方(平島公方)の始まりと伝える(阿州足利平島伝来記)淡路に流浪していた義冬を守護細川持隆が迎え入れて平島に住まわせたという(古城諸将記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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