古津村(読み)ふるつむら

日本歴史地名大系 「古津村」の解説

古津村
ふるつむら

[現在地名]岐阜市長良古津ながらふるつ

長良川右岸に位置し、厚見あつみ郡に属する。西は方県郡志段見しだみ村、南対岸は厚見郡日野ひの村・日野新田村。村の大半は山地で、山が長良川に迫る。対岸の人々が当地の山裾に移住して成立した村とみられる。慶長郷帳に村名がみえ、高一三六石余。領主変遷は志段見村と同じ。正保郷帳によれば田三八石余・畑八二石余・紙桑木高五石余・川役四石・山年貢六石。明暦覚書では概高一六七石余、旱損所と注され、人数一三一、馬七・牛二。


古津村
ふるつむら

[現在地名]那賀川町古津

苅屋かりや村の西、那賀川河口北方に位置する。慶長二年(一五九七)の分限帳には古津がみえ、高一五九石余が細山(賀島)主水佐知行分、また公方(平島公方)知行分として古津村高一〇〇石とある。正保国絵図によると高一六五石。寛文四年(一六六四)郷村高辻帳では田方一二四石余・畑方四一石余。文化一〇年(一八一三)の高都帳では高三二五石余。「阿波志」によると水陸田二一町九反余、高二三七石の大率が采地


古津村
ふるつむら

[現在地名]新津市古津

新津丘陵の西側、金津かなづ川の谷口に発達した村で、東はあさひ村。慶長三年(一五九八)頃の新発田藩の御領内高付帳(新発田市史資料)に「四百九拾弐石八斗六升 古津梅木 島津村」とあり、同一〇年の給知方村々高目録(同書)には毛付一五六石四斗余、荒一九七石九斗余と記される。同一五年頃の給知方ほど役帳(同書)によれば、一石七斗の炉役が九軒に課されている。

正保国絵図には古津村二三〇石余・古津新田一〇〇石とあり、寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳には二四一石五斗余とある。享保一〇年(一七二五)の御上ヘ上ル郷帳(小川家文書)には田高二八町六反余、分米二〇二石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android