日本大百科全書(ニッポニカ) 「平敷屋朝敏」の意味・わかりやすい解説
平敷屋朝敏
へしきやちょうびん
(1700―1734)
近世沖縄の和文学者。尚文徳(しょうぶんとく)・弥覇親雲上(ねはぺーちん)朝文(ちょうぶん)(1678―1706)の妾腹(しょうふく)に生まれる。6歳で父に死別後、母方の祖父の和文学者屋良宣易(やらせんえき)(1658―1729)に養育されて大きな影響を受けた。「平敷屋・友寄(ともよせ)事件」といわれる事件により34歳で八付(はっつけ)(磔(はりつけ))の極刑に処せられた。この事件の内容は不明だが、当時の三司官蔡温(さいおん)らへの王府体制批判ではないかといわれている。
作品には『伊勢(いせ)物語』風の四編の擬古文物語『貧家記』『若草物語』『苔(こけ)の下』『万歳』、一編の組踊(くみおどり)『手水(てみず)の縁』、ほかに多くの琉歌(りゅうか)がある。『手水の縁』は謀反人の作ということで長く上演を禁止されていたが、現在組踊中唯一の恋愛物であり、若い男女の激しい恋をテーマに独自の思想を展開させ、王府の踊り奉行(ぶぎょう)として忠孝節義を下敷きにした玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の作品と際だった対照を示している。
[當間一郎]