雅文,和文ともいう。明治時代から擬古文と呼ぶようになった。文字どおり古になぞらえる文の意で,この場合の古とは平安時代をさしている。広義に解すれば吉田兼好の《徒然草》なども擬古文の一種といえるが,ふつうは江戸時代中期より明治にかけて,主として国学者のあいだに行われた文章を呼ぶ。平安時代の和歌,仮名文,物語,日記,随筆などに範をとり,その用語や語法を研究して,それに準拠した文章をつづったものである。漢語(字音語)をきらい,おもに平仮名をもって,つづっているのが,そのいちじるしい特徴である。それが国学者のあいだから起こったのは,彼らの尚古思想による。なにごとも上古が尊く,純粋でみやびているという考えが,当時の俗文体や漢文体への抵抗として必然的に起こってきたのである。さらに賀茂真淵などは,古歌や古文の理解作業としても,古になぞらえた作歌や作文をすすめていたから,一面には古代精神を体得する実践行為として,擬古文は創作されたわけである。明治初期に国文学者たちによって行われた擬古文も,復古精神のあらわれと解される。なお擬古文を形の上から分類すれば,枕詞,縁語,懸詞(かけことば)などを用いてつづった美文的なもので,(1)随筆,考証,身辺雑記などの記事的なもの,(2)歌論,評論など,(3)消息文,などに分けられよう。作者としては賀茂真淵,村田春海,加藤千蔭,本居宣長,石川雅望,中島広足,清水浜臣らが巧みであった。
執筆者:暉峻 康隆
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江戸時代に多く国学者が古代の仮名文・和歌を模範としてつくった文。国学者の間には、古代の言語は正雅であり、後世の言語は卑俗であるという価値観があり、それに基づいて制作された。模範となった文は雅文とよばれた平安時代のものが主で、奈良時代のものは古文とよばれて除外されることが多かった。平安時代の文・和歌に用いられている語彙(ごい)・語法を研究し、自分たちの表現に取り入れようとしているが、発想の基盤がその時代の言語にあるため、制作された文は平安時代そのままでないことが多い。文字は平仮名を主とし、漢字・漢語をできるだけ避けているが、鎌倉時代以降の和漢混交文の影響も見逃すことはできない。賀茂真淵(かもまぶち)、村田春海(はるみ)、加藤千蔭(ちかげ)、本居宣長(もとおりのりなが)、石川雅望(まさもち)、藤井高尚(たかなお)、清水浜臣(しみずはまおみ)などの文章がよく知られている。なお、鎌倉時代以降の和文、たとえば『徒然草(つれづれぐさ)』のようなものは、厳密には擬古文とはいえないが、これも分類に入れる考え方もある。
[山口明穂]
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