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平松楽斎 ひらまつ らくさい

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美術人名辞典の解説

平松楽斎

江戸後期の漢学者・伊勢津藩士。藩医河野通賢の子。藩士平松正明の養嗣子。名は正愨、字は子愿、通称は健之助・喜蔵、別号に至楽窩・寛栗堂。奥田如堂・猪飼敬所の学ぶ。藤堂高兌に仕え、郡奉行等を歴任。また本草にも精通し、救荒に尽力した。梁川星厳・大塩平八郎足代弘訓らと親交があった。詩文のほか梵語を修め、神明流刀術も能くした。嘉永5年(1852)歿、61才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

平松楽斎 ひらまつ-らくさい

1792-1852 江戸時代後期の武士。
寛政4年4月6日生まれ。伊勢(いせ)津藩士。藩校有造館創設に尽力。救荒植物を研究。天保(てんぽう)の飢饉(ききん)には草粥(くさがゆ),救荒粥をつくりほとんど餓死者をださなかった。郡奉行,督学参謀をつとめた。嘉永(かえい)5年1月26日死去。61歳。本姓は河野。名は正慤。通称は健之助。著作に「食草便覧」「楽斎詩文稿」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

平松楽斎
ひらまつがくさい
(1792―1852)

江戸後期の津藩士、郡奉行(こおりぶぎょう)、督学(とくがく)参謀。名は正懿(まさよし)、通称健之助。藩医河野通賢の次男。平松正明の養子。藩校有造館(ゆうぞうかん)で学び、救荒植物の研究に励み、詩文・和歌にも造詣(ぞうけい)が深い。1833年(天保4)の大飢饉(ききん)には『救荒雑記』を公にし、翌年の凶作には藩民救済のため『救荒方法書』を著す。36年(天保7)の凶作には、米一升、麦五合に海藻、野草などを混ぜて煮、200余人の食作りに成功した。楽斎創製の草粥(くさがゆ)、救荒粥は『救荒心得』に記載されている。藤堂(とうどう)氏支配の津、久居(ひさい)、上野(うえの)で天保(てんぽう)の飢饉にほとんど餓死者が出なかったのは楽斎の功績といわれる。[原田好雄]
『松島博著『近世伊勢における本草学者の研究』(1974・講談社)』

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