朝日日本歴史人物事典 「平経盛」の解説
平経盛
生年:天治1(1124)
平安末期の武将,公卿。平忠盛の子。母は皇后宮亮源信雅の娘。平清盛の異母弟。保元1(1156)年に清盛の申請で安芸守となり,伊賀守,若狭守,内蔵頭などを経て,治承1(1177)年に正三位,養和1(1181)年には参議にのぼった。平家一門と運命を共にし,子息の経正,経俊,敦盛らはいずれも一の谷の戦(1184)で死に,自らは翌年の壇の浦の戦で入水した。和歌をよくし,仁和寺の守覚法親王の御所に,平忠度らと毎月の和歌会の衆として出入りしたこと,その死を悼んだ守覚が供養のために,彼らの生前の和歌懐紙を経の料紙としたことが守覚の『左記』にみえる。家集『経盛集』がある。
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報