平経盛(読み)たいらのつねもり

朝日日本歴史人物事典 「平経盛」の解説

平経盛

没年:文治1.3.24(1185.4.24)
生年天治1(1124)
平安末期の武将,公卿。平忠盛の子。母は皇后宮亮源信雅の娘。平清盛異母弟。保元1(1156)年に清盛の申請で安芸守となり,伊賀守,若狭守,内蔵頭などを経て,治承1(1177)年に正三位,養和1(1181)年には参議にのぼった。平家一門と運命を共にし,子息の経正,経俊,敦盛らはいずれも一の谷の戦(1184)で死に,自らは翌年の壇の浦の戦で入水した。和歌をよくし,仁和寺の守覚法親王の御所に,平忠度らと毎月の和歌会の衆として出入りしたこと,その死を悼んだ守覚が供養のために,彼らの生前の和歌懐紙を経の料紙としたことが守覚の『左記』にみえる。家集『経盛集』がある。

(土谷恵)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「平経盛」の解説

平経盛 たいらの-つねもり

1124-1185 平安時代後期の武将。
天治(てんじ)元年生まれ。平忠盛の子。平清盛の異母弟。伊賀守(いがのかみ),若狭守(わかさのかみ)などを歴任し正三位,参議となる。寿永2年一門とともに都落ちし,元暦(げんりゃく)2年3月24日壇ノ浦の戦いに敗れて入水した。62歳。歌人として知られ,歌は「千載和歌集」「新勅撰和歌集」などにみられる。家集に「経盛集」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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