日本歴史地名大系 「平野北条・平野南条」の解説
平野北条・平野南条
ひらのほうじよう・ひらのなんじよう
「和名抄」にみえる
正和五年(一三一六)六月二四日、後伏見上皇は「平野庄」に悪党が乱入し、庄家に立籠って狼藉を行っていると鎌倉幕府に訴え(「後伏見上皇院宣案」東大寺文書)、同年七月一三日には幕府が悪党を捕らえるように糟谷氏に命じている(「六波羅御教書案」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
「和名抄」にみえる
正和五年(一三一六)六月二四日、後伏見上皇は「平野庄」に悪党が乱入し、庄家に立籠って狼藉を行っていると鎌倉幕府に訴え(「後伏見上皇院宣案」東大寺文書)、同年七月一三日には幕府が悪党を捕らえるように糟谷氏に命じている(「六波羅御教書案」同文書)。
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