平頂山事件(読み)へいちょうざんじけん

山川 日本史小辞典 改訂新版 「平頂山事件」の解説

平頂山事件
へいちょうざんじけん

1932年(昭和7)9月16日に中国東北地方(満州)撫順(ぶじゅん)南部にある平頂山の1村でおこった関東軍による住民虐殺事件。前日の深夜に遼寧民衆自衛軍の一団撫順炭鉱襲撃,これに付近の炭鉱労働者が関与していたとして撫順守備隊の一部が住民を虐殺した。同年11月24日,国際連盟理事会で中国代表は,死者700余人,重傷者60~70人と報告している。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の平頂山事件の言及

【満州事変】より

…8月武藤信義大将が関東軍司令官・関東長官・駐満大使となり,9月15日国務総理鄭孝胥(ていこうしよ)とのあいだで日満議定書に調印,一連の秘密協定とともに〈満州国〉を日本の実質的な支配下においた。承認の当日から翌日にかけて撫順炭鉱付近での日本軍による中国一般住民の大量無差別虐殺事件(平頂山事件,犠牲者3000人といわれる)は,〈満州国〉が唱えた〈五族協和〉(五族とは日,鮮,満,漢,蒙の各民族を指す),〈王道楽土〉の欺瞞を如実に示した。
[連盟脱退]
 1932年10月2日公表されたリットン報告書は日本の主張を否認し,東三省の列強による共同管理を提案した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」