幸田貝塚(読み)こうでかいづか

日本歴史地名大系 「幸田貝塚」の解説

幸田貝塚
こうでかいづか

[現在地名]松戸市幸田 寺台など

奥東京湾に続くさか川に臨む下総台地上に位置する。東西約一八〇メートル・南北約二五〇メートルの広い範囲に点在し、小規模な貝塚を伴う縄文時代早期末から前期初頭の遺跡。昭和五年(一九三〇)に大山史前学研究所、同一五年に吉田格、同年と翌一六年に矢島清作、同三〇年に山内清男が発掘を行っている。同四六年からは断続的に発掘調査が行われ、平成三年(一九九一)の第一五次調査までに前期初頭の花積下層期の竪穴住居跡一四軒、関山期の竪穴住居跡一三一軒が発見され、当地方の前期初頭の類いまれな中心的大集落であることが明らかとなった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「幸田貝塚」の意味・わかりやすい解説

幸田貝塚 (こうでかいづか)

千葉県松戸市幸田にある縄文時代前期の遺跡。江戸川河口から上流へ約20km,沖積低地に面した下総台地の西辺部(標高約19m)にあり,貝層がハマグリハイガイなどで構成される純鹹(じゆんかん)の貝塚群である。14ヵ所の小貝塚が,半島状に突出した台地の縁辺部に点在する。古くより知られた遺跡で,1930年,大山史前学研究所の調査により注目されるところとなった。その後,小規模な発掘が幾度か試みられたが,40年,矢島清作の発掘によって,花積下層式期の竪穴住居跡2基が発見された。71年からは,八幡一郎らによる調査が継続的に進められていて,79年までに,7次におよぶ調査が実施されている。全体の調査は終了していないが,これまでに関山式期の竪穴住居跡100余基,花積下層式期の竪穴住居跡13基が発見されており,縄文時代前期にはまれな大規模集落遺跡であることが判明している。
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