幸知村(読み)こうじむら

日本歴史地名大系 「幸知村」の解説

幸知村
こうじむら

[現在地名]白子町幸治こうじ

中里なかざと村の南に位置し、浜方に納屋集落がある。幸地・幸次ともみえる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に幸地村とみえ、高三二四石。正保国絵図でも幸地で同高。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では幸地として中里組に属し、旗本土屋領一〇二石・同加藤領一〇一石・幕府領一六石。元禄郷帳では幸知村として高三四九石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では幸次村として高四二五石余で家数七五、幕府領(旧高旧領取調帳では高九八石余)と旗本筑紫(同一一五石余)・土屋(同一〇二石余)・加藤(同一〇二石余)三氏の相給。


幸知村
こうちむら

[現在地名]水上町幸知

大穴おおあな村の北方利根川湯檜曾ゆびそ川の合流点に位置。寛文郷帳では田方二石余・畑方一九石余、沼田藩領。寛文三年(一六六三)真田領村高書上控では一〇二石余。宝永元年(一七〇四)沼田領村々石高書上では高一一石余、反別は田方八反余・畑方三町余。江戸後期の御改革組合村高帳では幕府領。文政七年(一八二四)風社建立入用覚帳(幸知区有文書)によれば家数七。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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