日本歴史地名大系 「広城跡」の解説 広城跡ひろじようあと 和歌山県:有田郡広川町名島村広城跡[現在地名]広川町名島能仁(のうにん)寺の東方、高城(たかしろ)山上にある。室町時代中期以降は守護畠山氏の拠城の一。築城年代は不明。標高一三六メートルの頂上は南・西・北の三方が広・湯浅(ゆあさ)の中心部に臨み、東は連峰を負っている。「続風土記」には「村領山上にあり、広城とも高城とも卜山山ともいひ伝ふ、天守の平とて六段あり、井戸も一つあり」とある。西には遠く紀伊水道を望見でき、南は鹿瀬(ししがせ)山脈の天険、北は長峰(ながみね)山脈に囲まれた天然の要害となっていた。畠山氏は本拠の河内国高屋(たかや)城との間を往来したが、広城は家臣に守らせることが多かった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報