日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿瀬」の意味・わかりやすい解説
鹿瀬
かのせ
新潟県北東県境、東蒲原郡(ひがしかんばらぐん)にあった旧町名(鹿瀬町(まち))。現在は東蒲原郡阿賀(あが)町の東部を占める地域。阿賀野川(あがのがわ)の両岸に分布した両鹿瀬、日出谷(ひでや)、豊実(とよみ)の3か村が1955年(昭和30)合併して鹿実谷(かみたに)村と改称、1956年町制施行し、郷名をとって鹿瀬町となる。2005年(平成17)東蒲原郡津川(つがわ)町、上川(かみかわ)村、三川(みかわ)村と合併し、阿賀町となる。阿賀野川上流峡谷と支流実川(さねかわ)流域を主とする山村で、JR磐越西線(ばんえつさいせん)と国道459号が通ずる。旧町域は近世は会津領であったので、会津の風習が強く残る。1929年(昭和4)峡谷部に豊実、鹿瀬の両ダムが建設され、昭和電工の化学肥料工場が誘致され、一躍化学工業都市に発展したが、いわゆる「新潟水俣(みなまた)病」の発生問題で工場は縮小された。阿賀野川ラインの景勝地や麒麟(きりん)山、角神(つのがみ)両温泉や、国指定重要文化財の護徳寺観音堂(ごとくじかんのんどう)がある。
[山崎久雄]