広州国民政府(読み)こうしゅうこくみんせいふ

旺文社世界史事典 三訂版 「広州国民政府」の解説

広州国民政府
こうしゅうこくみんせいふ

1925年に成立した汪兆銘首班とする中国国民党政権
正式名称は中華民国国民政府。1924年の中国国民党一全大会で定められた国共合作方針にもとづく政権で,孫文死後,大元帥府からこの形に改組された。政府中枢から右派を排除したことから,路線対立を激化させる結果となった。

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世界大百科事典(旧版)内の広州国民政府の言及

【広東政府】より

…このとき中央政府をおさえた直隷派が約法と国会を回復したため,孫文はもはや護法をかかげず,また軍閥にもたよることなく,国共合作にもとづく新しい革命をめざしたのである。孫文死後,大元帥府は委員制の広州国民政府(第4次広東政府,1925年7月~26年12月)に改組されたが,汪兆銘を委員長とするこの政府は国民党右派を排除した連合政府だった。広東政府は香港海員スト(省港ストライキ)の支援に象徴されるような民主的側面をもち,広州を国民革命の根拠地とすることに成功した。…

【中華民国】より

… 国共合作の成立後1年あまりのちに孫文は没したが,その間に党勢は大いに発展し,国民党指導下の広東大元帥府大本営(軍政府の一種。1925年7月改組して広州国民政府,いわゆる広東政府となる)も強化された。五・三〇運動に端を発した省港ストライキが16ヵ月にわたって戦えたのも広東政府が存在すればこそであった。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」