中華民国国民政府(読み)ちゅうかみんこくこくみんせいふ

山川 世界史小辞典 改訂新版 「中華民国国民政府」の解説

中華民国国民政府(ちゅうかみんこくこくみんせいふ)

①〔大陸〕中国国民党指導下にあった政府。孫文死後の1925年7月,中国国民党は広州に最初の国民政府を組織した。主席汪兆銘(おうちょうめい)で,集団指導体制をとる。その後国民党内は左派右派に分裂し,左派は中国共産党とともに27年1月政府を広州から武漢に移した。一方,国民党内の反共勢力は,同年4月蒋介石(しょうかいせき)四・一二クーデタを断行させ,南京にもう一つの国民政府を組織した。成立当初の主席は胡漢民(こかんみん)。この状況下,国共は分裂し,武漢政府は解消した。蒋介石は国民革命軍総司令として,28年6月北伐を完成。南京国民政府は全国を統一し,孫文の建国大綱に従い訓政を開始した。蒋介石は孫科(そんか),汪兆銘など党内の対抗勢力によって指導権の確立を阻まれるが,しだいに権力を掌握し,37年7月日中戦争が勃発すると,第2次国共合作を成立させ,抗戦の総指揮をとった。国民政府は日本軍の侵攻激化により,37年11月,南京から重慶への遷都通告。日中戦争勝利後の46年5月南京に還都。国民政府は47年12月から中華民国憲法を施行し,憲政時期へと移行する。翌年国民大会が開催され,5月蒋介石が正式に中華民国総統に選出された。その後は中華民国政府が正式名称となる。共産党は国民大会の正当性を認めず,その後も国民政府の名称を使う。

②〔台湾〕国共内戦に敗れた国民党政権は1949年,台湾に中華民国中央政府を移転し,台北を臨時首都とした。移転後も「大陸反攻」を呼号,全中国を代表する正統政権と主張し,全中央政府機構を台湾において維持,大陸地区選出の国会議員は非改選としたため万年議員化した。他方,台湾社会に定着するため農地改革や地方公職選挙を実施した。60年代,輸出指向的経済発展政策に転換,経済成長で本省人(ほんしょうじん)中間層が台頭,民主化要求が高まった。蒋経国(しょうけいこく)は中華民国が国際的に孤立するなか,政治面での台湾化政策に転換,その後継李登輝(りとうき)は国会の全面改選や総統直接選挙を実施,中華民国の台湾化を果たした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の中華民国国民政府の言及

【中華民国】より

…日本軍の占領地域では,1937年12月に北京で中華民国臨時政府が組織されて華北5省の支配に当たり,38年3月に南京で中華民国維新政府が組織され,江南・長江(揚子江)流域の支配に当たった。これらはやがて40年3月に汪兆銘を頭につくられる〈統一〉傀儡(かいらい)政権=中華民国国民政府(汪兆銘政権,南京)に統合されるのだが,抗日戦争中の中国は,大きくいって日本・傀儡政権支配下の〈淪陥区〉と重慶政府に属する〈大後方〉の二つの部分に分かれていたのである。さらにいえば,共産党の辺区政府は独立自主の原則をかかげた別組織であったばかりでなく,淪陥区のなかに多くの抗日根拠地(解放区)をつくりあげ,日本軍・傀儡軍をして点と線の維持に汲々たらしめていた。…

※「中華民国国民政府」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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