広野新田村(読み)ひろのしんでんむら

日本歴史地名大系 「広野新田村」の解説

広野新田村
ひろのしんでんむら

[現在地名]酒田市広野・広栄町こうえいちよう

黒森くろもり村の東にあり、京田きようでん川下流左岸に位置する。平安―江戸時代の複合遺跡があり、中世墳墓が検出された。広野谷地、または榛木が生茂っていたことから榛木はんのき谷地と称されていた。

寛永元年庄内高辻帳の櫛引くしびき郡に広野村高一二〇石余がみえ、正保庄内絵図(本間美術館蔵)では新堀にいぼり村高のほかとして一一一石余が広野村分とされる。一村成立前には周辺の村々の入作地であったと思われる。正徳四年(一七一四)酒田の商人越後屋九兵衛・鈴木伊右衛門が金主となり、横山よこやま(現東田川郡三川町)佐藤茂兵衛ら四名が広野谷地を開発,享保二年(一七一七)完成して一村をなした。


広野新田村
ひろのしんでんむら

[現在地名]遊佐町白井新田しらいしんでん

藤井新田ふじいしんでん村の北、鳥海山麓西側の高台に位置する。西山にしやまに縄文時代の集落跡がある。往古大畑おおはたけ小畑こはたけに民家があったが開発者は不明。貞享二年(一六八五)下野沢しものざわ村左平次が当地を開墾。翌三年高六石余、家数八となり左平次さへいじ新田と称した。しかし、年々作柄は悪くなり農民が退転し荒廃したため、下野沢村の枝郷とされ、高はその後一一石余となった(「佐藤氏書留」飽海郡誌)。宝暦七年(一七五七)つるおかの村上文七郎が庄内藩に願出て、左平次新田の荒地開発を計画。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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