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府町(読み)ふまち

日本歴史地名大系 「府町」の解説

府町
ふまち

長府の町部にあたり、東部の海岸寄りに開けた町。古くから国府や守護所などの所在する政治的都市集落として、また長門国二宮である忌宮いみのみや神社の鳥居前町として、中世末期には町を形成していたと思われる。天正二年(一五七四)八月一四日付の長門国一二両社祭礼之事(長門二宮忌宮神社文書)にはきた町・土居どいうち町・なかノ町・みなみノ町・中浜なかはま町・惣社そうじや町・別所べつしよ町・かめこう町の名がみえる。

慶長七年(一六〇二)毛利秀元は府町の南東にある櫛崎くしざき(雄山城)居城を定め、のちそこに長府毛利氏の居館が建てられた(→長府藩毛利氏館跡

江戸時代初期の様子を伝える長府古図(毛利家蔵)によると、町の南東部櫛崎に毛利氏の居館があり、それより北、壇具だんぐ川までは先御用所・御蔵屋敷をはじめ家臣の屋敷地が続く。壇具川より北は海岸線を南北に通る山陽道があり、壇具川より少し北では山陽道から西に下ノ関道が延びる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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