日本歴史地名大系 「庭月村」の解説 庭月村にわづきむら 山形県:最上郡鮭川村庭月村[現在地名]鮭川村庭月南流する鮭川の中流域に位置し、村域は左岸に合する真室(まむろ)川との合流点付近から下流内(うち)川との合流点付近まで広がる。鮭川・内川に挟まれた本郷のほかに新田本村鑑では枝郷に西村(にしむら)・高土井(たかどい)(鮭川左岸)、観音寺(かんのんじ)・岩下(いわしも)・岩木(いわき)・木野根坂(きのねざか)・大谷地(おおやち)(同川右岸)をあげる。南は真木(まき)村枝郷松沢(まつざわ)村、内川対岸東方は京塚(きようづか)村。戦国期、鮭延氏家臣(一族)庭月氏が当地に城を構え、一帯に勢力を振るった。元和七年(一六二一)庭月城主庭月(佐々木)広綱が庭月八幡神社に奉納した鰐口銘に「鮭延郷庭月村」とみえる。 庭月村にわつきむら 新潟県:南蒲原郡下田村庭月村[現在地名]下田村庭月蛇行して西流する五十嵐(いからし)川左岸の段丘上にあり、対岸は院内(いんない)村、上流は長崎(ながさき)村・中野(なかの)村。古志長尾氏の段銭収納を記録した、明応年間(一四九二―一五〇一)の国衙之日記(「古文書集」所収文書)に「八百文 にわつき」とある。同六年七月五日の大関政憲外三名連署役銭注文(上杉家文書)には「一、本田五百苅壱貫五百文 庭月 和田山方蔵人方あつかい」とある。正保国絵図では高八〇石余。正保(一六四四―四八)初年の物成高を記した「初免石」(「村松小史」渡辺芳江氏蔵)では五一石九斗余・家七戸。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報