日本歴史地名大系 「延福寺跡」の解説 延福寺跡えんぷくじあと 岡山県:笠岡市走出村延福寺跡[現在地名]笠岡市走出井原市木之子(きのこ)町境、走出の浄瑠璃(はしりでのじようるり)山上の東端、高野山真言宗持宝(じほう)院の境内にあり、寺跡からは布目瓦の出土が認められる。持宝院の西隣には同宗明王(みようおう)院がある。「備中誌」によれば、延福寺は天長六年(八二九)壱演を開山として創建、本尊は薬師如来であった。創建年代を天安年間(八五七―八五九)とする説もある(「持宝院小史」など)。壱演は「元亨釈書」に「姓大中臣氏、洛城人、父備州刺史治知」とみえ、貞観九年(八六七)七五歳で没している。往時は碇光坊・西林坊・金蔵院・法林坊・奥坊・中ノ坊・西寺・畦ノ坊・金剛坊・遍照坊・中台坊・円福寺の一山一二坊を数え、栄えたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by