走出村(読み)はしりでむら

日本歴史地名大系 「走出村」の解説

走出村
はしりでむら

[現在地名]笠岡市走出

山口やまぐち村の北西にあり、北端を東流する小田おだ川を挟み小田村(現小田郡矢掛町)に対し、西は門田もんでん(現井原市)小田川と同川支流で山口村を北流する尾坂おさか川に挟まれた沖積地にあたり、折敷おしき(尾鋪山)などの小丘陵が連なる。折敷山からは弥生式土器が出土、周辺の弓場山ゆんばやま古墳、および同古墳東方約五〇〇メートルの山田やまだの丘陵中腹から発見された祭祀遺跡は、いずれも五世紀を下らないものと推定される。古代甲努こうの(和名抄)に属していたと考えられ、湯田之坪ゆだのつぼなどで条里制の遺構が認められる。

当地一帯は実相じつそう(現京都市左京区)領走出庄に比定され、建武三年(一三三六)八月三〇日の光厳上皇院宣(案、実相院文書)で安堵されている。折敷山の北部山嶺を中心として、削平地・石垣・堀などを残す山城(折敷山城)跡が認められる。天文―弘治(一五三二―五八)頃の城主は有岡新之丞と伝え、有江ありえ(城)有岡ありおか(城)ともよぶ。


走出村
はしりでむら

[現在地名]門前町走出

門前村の北西、はつヶ川中流南岸平地に立地。門前村とともに総持寺の門前に形成された集落。「能登志徴」には、昔は門前・清水しみず二ヵ村と併せ諸岡もろおか村と称したとあるが、根拠は不明。正保郷帳には走出・鬼屋おにや広瀬ひろせの四ヵ村が並記されて高付され、三一八石余、田方一二町九反余・畑方八町三反余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高一三九石余、免五ツ五歩、ほかに新田高二石がある(三箇国高物成帳)


走出村
はしりでむら

[現在地名]弥彦村走出

御殿ごてん山の東麓にあり、北は弥彦村、南西観音寺かんのんじ村。正保国絵図に村名がみえ与板藩領。寛文四年(一六六四)の与板藩朱印状(寛文朱印留)にも同藩領としてあげられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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