改訂新版 世界大百科事典 「建武の徳政」の意味・わかりやすい解説
建武の徳政 (けんむのとくせい)
1334年(建武1)5月発布された建武政府の徳政令。現在知られているのは次の2ヵ条。(1)借銭,本銭返し,年季売などは,現時点で決済し,利息や収穫物などによる返済が元金の半額を超していれば,質物の田畠はもちろん,超過支払分も本主に返還,(2)承久年間以後の売却地は,たとえ買得人が鎌倉幕府の安堵状を得ていても,買主が敵方について滅亡した分は本主に返還,買主が味方につき軍忠がある場合は,ケースによって買主側に安堵,元弘1年(1331)以後の売買分は全て返還。
政権交替にともなう一種の代替り徳政令といえるが,内容的には(2)で王朝が北条氏の制圧下に入ったと判断した承久の乱,天皇自身が北条氏の強要によって退位させられた元弘1年を法適用の画期とした点などに,後醍醐天皇の政治思想が濃厚に打ち出されている。立法直後に下総や若狭で法適用をめぐるトラブルがあったことを伝える史料があり,全国的にこの法が実施されようとしたことは確実である。
→徳政
執筆者:笠松 宏至
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報