建水分神社(読み)タケミクマリジンジャ

デジタル大辞泉 「建水分神社」の意味・読み・例文・類語

たけみくまり‐じんじゃ【建水分神社】

大阪府南河内郡千早赤坂村にある神社祭神天水分神あめのみくまりのかみ天御中主命あめのみなかぬしのみことほか境内には、楠正成くすのきまさしげをまつる南木なんぼく神社がある。

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精選版 日本国語大辞典 「建水分神社」の意味・読み・例文・類語

たけみくまり‐じんじゃ【建水分神社】

  1. 大阪府南河内郡千早赤阪村にある神社。旧府社。祭神は天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)天水分神(あめのみくまりのかみ)、罔象女命(みずはのめのみこと)、国水分神(くにのみくまりのかみ)、瀬織津姫神(せおりつひめのかみ)。崇神天皇五年の創建と伝える。建武年間(一三三四‐三八楠正成再建。上の水分神社。くすのきさん。

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日本歴史地名大系 「建水分神社」の解説

建水分神社
たけみくまりじんじや

[現在地名]千早赤阪村水分

葛城山西麓の谷間にある水分すいぶん集落を見下ろす山際に位置し、水越みずこし川左岸にある。「延喜式」神名帳に載る石川郡の小社「建水分神社」に比定される。訓は「タケミコマリノ」「タツミコマリノ」とある。現在の祭神は天御中主神(中殿)、天水分神・罔象女神(左殿)、国水分神・瀬織津媛神(右殿)。旧府社。地元では単に水分神社、あるいは「くすのきさん」とよぶ。社伝では、崇神天皇五年天下饑疫のさい勅して金剛葛城の山麓水神を祀ったのが始まりとするが、「日本書紀」同年条に疾疫記事はみえるが当社の創建記事は記されない。社名の建水分は「古事記」「日本書紀」ともにみえないが、「古事記」の国生み神話に天之水分の神・国之水分の神の神名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の建水分神社の言及

【神社建築】より

…また権現造は北野天満宮がそうであるように,実在した人物の霊をまつる社殿の形式として,豊臣秀吉の豊国廟以後,東照宮など近世の遺構が多い。また中世以後は,流造,春日造の基本形を横に連結した山口県の住吉神社本殿(1370),大阪府の建水分(たけみくまり)神社本殿(1334)など,平面との対応がなくても屋根を入母屋造とした滋賀県の御上神社本殿(鎌倉時代),大阪府の多治速比売(たじはやひめ)神社本殿(1541)など,また特異な複合形式をもつ岡山県の吉備津神社本殿(1425)など,さまざまの意匠をもつ社殿が生まれた。
【本殿以外の施設】
 伊勢神宮がそうであるように,大規模な神社は神に供する御饌(みけ)を調進するためのさまざまの施設,たとえば贄殿(にえどの),酒殿,竈殿,盛殿などを備えていた。…

【水分神】より

…《古事記》には〈天之水分神〉〈国之水分神〉として見えている。《延喜式》神名帳には,大和国(奈良県)に葛木(かつらぎ)水分神社,吉野水分神社,宇太(うだ)水分神社,都祁(つげ)水分神社が,河内国(大阪府)に建(たけ)水分神社,摂津国住吉郡(大阪府)に天水分豊浦命神社が記載されている。《延喜式》によると神祇官が執行する四時祭の祈年(としごい)祭と月次(つきなみ)祭や臨時祭の祈雨神祭(きうしんさい)には,大和国の葛木,吉野,宇太,都祁の四つの水分神社に奉幣や馬の奉納があった。…

※「建水分神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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