日本歴史地名大系 「弁城村」の解説
弁城村
べんじようむら
現方城町の西部、彦山川の中流右岸に位置し、村内を同川支流の弁城川が流れる。北西は
応安五年(一三七二)七月の隈元政幸軍忠状(青柳種信資料/南北朝遺文(九州編)五)によれば、弁城村領家の土御門鶴寿丸の代官隈元政幸は探題今川方に属して筑後・肥前各地を転戦している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現方城町の西部、彦山川の中流右岸に位置し、村内を同川支流の弁城川が流れる。北西は
応安五年(一三七二)七月の隈元政幸軍忠状(青柳種信資料/南北朝遺文(九州編)五)によれば、弁城村領家の土御門鶴寿丸の代官隈元政幸は探題今川方に属して筑後・肥前各地を転戦している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...