日本歴史地名大系 「弓庄城跡」の解説 弓庄城跡ゆみのしようじようあと 富山県:中新川郡上市町弓庄舘村弓庄城跡[現在地名]上市町舘白岩(しらいわ)川東岸の台地上に築かれた平城。城跡西側の一段低い所に舟着場(ふなつきば)という地名が残ることから、古くは白岩川を利用した水運の便があったとみられる。城主は新川郡西部に勢力を有した国人の土肥氏である。土肥氏は鎌倉時代から堀江(ほりえ)庄などを本拠として成長を遂げ、戦国期には堀江城(現滑川市)を本城とし、郷柿沢(ごうかきざわ)館や稲村(いなむら)城、千石山(せんごくやま)城といった現在の上市川沿いに城館網を形成した。この堀江系とは別に、それよりやや遅れて、弓庄城を本城とする弓庄系の土肥氏が白岩川から大岩(おおいわ)川にかけての地域に城館網を形成している。弓庄城の東方に位置する柿沢城や茗荷谷(みようがだに)山城などがその城館網に属する。この地域には鹿王(ろくおう)院(現京都市右京区)領の井見(いみ)庄が存在したが、土肥氏はその代官職を得て当地に勢力を築いたとみられる。永正一三年(一五一六)八月一三日の等阿等連署状案(鹿王院文書)などによると、土肥美作入道が代官として登場することから、土肥氏の弓庄築城もこの頃からと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報