改訂新版 世界大百科事典 「張家坡遺跡」の意味・わかりやすい解説
張家坡遺跡 (ちょうかはいせき)
Zhāng jiā pō yí zhǐ
中国,陝西省長安県張家坡に存在する周代の遺跡群。周の文王は都を周原から豊京(ほうけい)に移したが,その豊京の地は灃河(ほうが)の西岸,現在の長安県客省荘および張家坡付近に当たると推定されている。中国科学院考古研究所は,1956-57年,大規模な発掘を行い,その結果,西周時代の住居址,灰坑,井戸,鋳銅遺構,骨器製作工房,窯址,墓,車馬坑が発見された。住居址には長方形の浅い竪穴と円形の深い竪穴があり,鬲(れき),甗(げん),甕(よう),簋(き),缶,盆などの土器,錐,鏃,簪などの骨角器,石庖丁,鎌,鏟,斧などの石器類,刀子,斧,鏃などの青銅器が出土している。131基の墓が発掘されているが,大部分は長方形竪穴墓で,木槨や木棺の痕跡が認められる。墓の平均的大きさは,長さ2.56m,幅1.15mほどである。墓の副葬品には,戈,矛,匕,鏃,刀などの青銅武器,鼎,簋などの青銅容器,鬲,鼎,簋,盂,豆,盤,缶,壺などの土器,璜,環,圭などの玉器類が存在した。張家坡の墓から出土した上述の土器を基本として,西周時代を5期に分ける編年が行われている。さらに61年には張家坡村の東側において西周時代の青銅器を埋蔵した窖(こう)蔵が発掘された。長さ1.2m,幅0.8m,深さ0.9mのこの窖蔵からは,簋,鬲,壺,盤,盉(か),豆,杯,匕など53点の青銅器が出土し,32点の青銅器に銘文が刻まれていた。これらの青銅器には,西周前期から中期にかかる各種のものが含まれ,年代は一定していない。豊京の遺構はまだ発見されず,文王時代の遺跡も乏しい。今後のより詳しい発掘調査がまたれる。
執筆者:飯島 武次
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報