待詔院(読み)たいしょういん

精選版 日本国語大辞典 「待詔院」の意味・読み・例文・類語

たいしょう‐いんタイセウヰン【待詔院】

  1. 〘 名詞 〙 明治維新当初、政府東京に設置した建白書受理機関。明治二年(一八六九)三月待詔局として発足。同七月局を院に改め、八月集議院合併上院下院に分かれ、主に下院が業務遂行
    1. [初出の実例]「待詔局を廃して待詔院を置かれ」(出典:東京日日新聞‐明治二一年(1888)六月二四日)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「待詔院」の意味・わかりやすい解説

待詔院
たいしょういん

明治初年の建白書(けんぱくしょ)受理機関。この種の機関として旧幕時代には目安箱(めやすばこ)があった。維新政府もこれを継承したが、1869年(明治2)3月、待詔局を設けて広く建白書を受理した。同年7月8日、太政官(だじょうかん)制の改革に伴い、待詔局は待詔院に改められ、上下二局が設置された。上局は有名無実でほとんど機能せず、下局はやがて集議院に吸収され事務も移管された。73年6月に集議院が廃されると、建白受理の事務は太政官左院が管轄することになった。

[井上 勲]

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世界大百科事典(旧版)内の待詔院の言及

【公議所】より

…集議院長官は参議・卿と同格とされ,公議所公議人がそのまま議員となった。同年8月15日待詔院下局を合併するが,これは同年3月12日に上書建白を受理するため設けられた待詔局が,7月8日の官制改革で待詔院となり議定・参与からなる上局と各藩貢士からなる下局を置いたが,上局は有名無実であり,その下局を合併したものである。したがって以後は集議院で建白を受理することとなり,議員中より12名の幹事を選び交代で取り扱わせた。…

【職員令】より

…藩論の動向を反映させるべく設けられた集議院(公議所の改称)は,立法機関の実質を備えなくなり,行政部内の諮問機関にすぎなくなった。下意上達の機関として設置された待詔院(1869年3月12日に設置された待詔局の昇格したもの)も集議院に合併された(8月15日)。この結果,政体書にあった三権分立の理念は抹殺され,この職員令による官制は,行政権中心の制度であった。…

※「待詔院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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