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集議院 しゅうぎいん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

集議院
しゅうぎいん

明治初期の政府の議事諮問機関。明治2 (1869) 年7月8日の官制改革で,公議所を改称して設置された。長官には大原重徳,次官に阿野公誠,判官に神田孝平丸山作楽らが任じられた。議員は諸藩の参事1名ずつで構成され,諸藩の意向の反映が配慮されていたが,公議所が議決機関であったのに対し,諮問機関ないしは諸藩の政府協力機関であり,その権限は縮小され,太政官提出の議案審議,答申するだけにとどまった。同年9月7日~12月 27日,翌同3年5月 28日~9月 10日の2回にわたって開院され,藩制改革案の審議を中心に,刑律制定,北海道開拓,冠服制度,宣教使教道施行方法などの諸問題を審議した。廃藩置県後はその存立の意義をほとんど失い,同4年7月左院の下部機関となり,1873年6月 25日廃止された。

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デジタル大辞泉の解説

しゅうぎ‐いん〔シフギヰン〕【集議院】

明治2年(1869)公議所後身として設置された議政機関。太政官が提出した議案を審議した。同6年廃止。

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百科事典マイペディアの解説

集議院【しゅうぎいん】

明治初期の議政機関。1869年の官制改革により公議所を改称。まもなく待詔(たいしょう)院下局を合併し,太政官提出の議案を審議するほか民間からの建白書受理の事務も行った。
→関連項目大原重徳

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大辞林 第三版の解説

しゅうぎいん【集議院】

1869年(明治2)公議所に代わって設置された機関。太政官からの議案を諮詢しじゆんするにとどまり、権限は小さかった。1873年廃止。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

集議院
しゅうぎいん

明治初年の議政機関ないし行政諮問機関。1869年(明治2)7月8日、太政官(だじょうかん)制の改革に伴い、公議所の後身として設置。このときの官制改革は、祭政一致を標榜(ひょうぼう)した復古色の強い行政優位のそれで、立法権限は大幅に削減された。議員は府藩県の大参事から選出され、任期は4年、2年ごとの半数改選、会議日は毎月2の日、7の日。議院運営は公議所に準じているが、公議所が議員による議案提出権を有していたのに対し、集議院は政府提出の議案を審議する権能しかもたず、その意味では諮問機関といえよう。廃藩置県によって、藩を単位とする議会の存在理由がなくなり、73年6月に廃止され、事務は太政官左院に移管された。[井上 勲]

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世界大百科事典内の集議院の言及

【公議所】より

…この日誌には貢士対策所の制度法令と策問を編纂した2冊もあり,《明治文化全集・憲政編》に全29冊が収められている。 公議所の審議の活発化に対し政府首脳部はこれを快く思わず,同年7月8日集議院と改称し,太政官下付の議案のみ審議し,上申したものも改めて公議に付されることとなり,立法機関としての性格はいちじるしく後退した。集議院長官は参議・卿と同格とされ,公議所公議人がそのまま議員となった。…

【職員令】より

…また太政官のもとには,卿を長とする民部省,大蔵省,兵部省,刑部省,宮内省,外務省の6省が置かれ,集権的行政機構が樹立された。藩論の動向を反映させるべく設けられた集議院(公議所の改称)は,立法機関の実質を備えなくなり,行政部内の諮問機関にすぎなくなった。下意上達の機関として設置された待詔院(1869年3月12日に設置された待詔局の昇格したもの)も集議院に合併された(8月15日)。…

※「集議院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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